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Robert Todd Carroll

SkepDic 日本語版
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サタン、魔王
Satan

悪を人格化したもの。聖書を信ずる者の多くは、サタンは神によって創造された精霊で、実在するのだと考えている。サタンや彼に付き従うそれ以外の精霊たちは、神に対して反乱を起こしたのである。彼らはその創造主によって、天国から追放された。神学者たちは、全能なる主はいったいなぜ``堕天使''を抹殺しなかったのかと、あれこれ憶測を巡らしているかもしれない。というのも、神は他の動物の場合には、正義を失えば抹殺されるといわれているからである(ノアと彼の家族は、もちろん救われる)。サタンは独自の王国を地獄に築き、人間を転向させようと地上に悪魔を送り込み徘徊させることまで許されている。悪魔の世界が存在を許されているのは、ただ1つの理由によるらしい:つまり、人間を誘惑して神から離反させるためだ。サタンのこうした行いを神がなぜ許しているのか、その理由は聖書のヨブ記で説明されている。ヨブは神に、神はなぜサタンが自分を苦しめるのを放置しているのか問うたのだが、神の回答は無愛想で、しかも決定的なものだ:汝は神の手を持つというのか?と回答したのである。ヨブの物語については神学者によって数多くの異なる解釈がなされているが、私の解釈では、神がなぜサタンを存在させて私たちを苦しめさせるのか、その理由は誰にもわからない、というのが私の解釈だ。神は神であり、すべてを思うがままにできるのだ。私たちに許されているのは何故かと問うことではなく、従うか死ぬか、そのどちらかなのだ。

サタンは精霊であり、男性でも女性でもない。だが創造主たる神と同様に、サタンはふつう男性的な存在として引き合いに出される。サタン(デビルといわれることも多い)は、人間に``とり憑く(possess)''と多くの人が信じている。悪魔憑き(possession)とは、悪魔が人間の体を侵すことである。カトリック教会は今でも悪魔にとり憑かれた人にたいして悪魔払いをおこなっている。イエスは悪魔を追放した、つまり悪魔払いをおこなったといわれており、教会は自分たちがイエスと同じ力を与えられていると信じているのだ。これまでの世紀すべてのあいだ、宗教を敬虔に信じる人々はある種の精神疾患や身体疾患を抱えた人たちのことを、悪魔憑きと見なしてきた。

しかし、悪魔と交わっているという罪状での告発は、目に見える悪魔憑きよりも頻繁におこる。サタンは数多くの力を持っていると信じられているが、その中には自身を人間や動物の姿に化ける力というのもある。悪魔との交わりは純粋に肉体的なものも多いが、ほとんどは性的なものだと記されている。キリスト教の歴史のほとんどで、サタンがインキュバス(男魔)あるいはサキュバス(女魔)として人間とセックスをしたという報告がなされている。魔女魔術師はこうして生まれたものたちの子孫だと多くの人が考えている。彼らは悪魔の力をある程度受け継いでいるため、たいへん有害なのである。

カール・セーガンによると、背徳的な性交というのはありがちな文化的現象である:

インキュバスの同等品にはいろいろなものがある。アラブのジン、ギリシアのサテュロス、ヒンドゥーのブッツ、サモアのホウタ・ポロ、ケルトのドゥシー……[Sagan, p. 124]

 しかしながら、子供がドミニコ会の尼僧たちからサタンの手口について教わるときには、神父の衣装をまとったインキュバスに強姦される尼僧の話は絶対に出てこない。悪魔はわれわれを罪に誘惑するためにいる、それだけ。人々とセックスしたり、再生産の実験をしてみたり、魔女や魔術師の種族を育成したりなんてことはしない。確かに、悪魔の主要な誘惑は性的なものだ。それはまちがいない。サタンが女の子を使って男の子を誘惑して不純な考えや行動を起こさせるのにずいぶん手間暇をかけたのは確実だ。サタンは思春期の間、人々の心に絶えず侵入して、口にもできず、まして実行など絶対できない邪悪な性体験への欲望を植え付ける。思うに、女の子のほうは自分たちを性的な誘惑に負けさせて、悪魔の手口をありったけ使って「最後までいく」ようにしむけようとする男の子たちをいやがるように教わるべきじゃないかと思う。だが、女の子たちは自分たちこそが誘惑婦であり、したがって自分の女性的な魅力で少年たちに危害を加えぬよう気をつけるべき存在なのだと教わっているとしても、私は驚かない。どっちにしても、われわれは絶えず祈り続け、聖人や神の聖母の介入を待ちわび、サタンの罠から守ってくれるように願うべきだと教わる。多くの観察者たちには、サタンに対する恐怖は自分の性に対する恐怖とずいぶん似ているなと気がついたはずだ。

無邪気な天使たち

 邪悪な者について教わったことは多いけれど、でも教皇イノケンチウスVIII世による魔女や異端者狩りについては教わった記憶がない。この教皇は勅令で、「邪悪な天使」つまり悪魔が、多くの人間男女とセックスしていると宣言した。この種の主張をしたのはかれが初めてではない。それ以前にも、トマス・アクィナスなどがこの分野を詳細に検討している。トマスは、悪魔はヒトではないのでヒトの子種は作れないと指摘する。したがって、まずは女性に変身して、男性を誘惑し、その種子をためておいて、男性に変身し、女性を誘惑してその種を移転しなくてはならない。その過程で悪魔の一部が種にすり込まれて、だからその子孫は普通ではなくなる。世界を支配したければ、人間と交わるのがいちばんいい方法だというのをつきとめるまで、サタンはずいぶんと時間がかかったようだ。人体を侵略したほうが心を侵略するよりも効率がよくて有効だ。だが教皇など多くの敬虔な人々は、悪魔の子を根絶やしにする計画をお持ちであった:みんな拷問して焼き殺してしまえ! 目には目を、火には火を! 悪魔がかれらを出し抜くことはない。聖なる敬虔な異端審問官たちのサド的で化け物めいたふるまいは、懐疑論者に悪魔を信じさせるに足るほどのものだ。異端審問官たちは、文句なしに悪魔的だった。

 悪魔学でおもしろいのは、人間が繰り返し悪魔と取引をするという主題だ。ファウスト伝説が一番有名だろう。魂をあげるとサタンは富や権力やその他なんでも、一定期間だけ与えてくれる。話の多くのバージョンでは、ファウストは悪魔をだまして支払いを逃れる。もとの話では、悪魔は契約の終わりにファウストを切り刻んで殺す。その脳は部屋の壁に飛び散り、目や歯は床に転がり、死体はクソの山の外に投げ出される。 [Smith, p. 269]

 今日では、サタンが本当に存在すると思っている人はまだいるけれど、インキュバスやサキュバスのお話はもうあまり聞かない。そういう話にいちばん近いものというと、異星人による誘拐体験だ。ありがたいことに、今日の異星人による誘拐の被害者たちで、似たような性的実権を加えられた人たちは――悪魔が宇宙の異星人に変わったわけだ――教会に糾弾されたり、拷問、処刑されたりすることはない。それどころか、そういうお話に対する市場は確立して拡大を続けているし、マスメディアはその市場に喜んで追従しようとする。残念ながら、異端審問官の末裔たちもまだわれわれとともにある。かつてとの唯一の共通点といえば――もちろん拷問と殺人好きを除けば――制服大好きという点くらいだ。軍隊、警察、司法、教会など。でもこの結びつきはかなり弱い。制服が好きでも拷問や殺人には手を出さない人もたくさんいるからだ。いつの時代でも、サディスト審問官の制服は世界に対する手軽な口実かカモフラージュでしかないらしい。

 だがおもしろいことに、こうした殺人者や拷問者たちのほとんどは、こうした恐ろしい好意を行っている間、少なくとも自分たちがよいことをしているように見えたいというニーズは感じるようだ。テロリストや民族浄化屋たちを惨事にかりたてたり、魔女狩り屋が家庭を破壊したりするのは、敬虔な異端審問官たちをかりたてたのと同じ力らしい。かれらの振る舞いだけみても、懐疑論者をしてサタンが本当に存在するんじゃないかと思わせるにほとんど足るくらいだ――自分たちの高貴な目的のために戦う善良な人々の子kろの中に。

 哲学的な観点からすると、邪悪な悪魔についての世界的な信仰は、歴史を通じて人間存在にはびこる、大量の道徳的肉体的邪悪についての説明が必要だったから存在している。たぶん、悪魔はある意味でわれわれ自身の邪悪な行動の言い訳となって、自分のなす害についての責任感を弱める手段としても存在しているのだと思う。心理学的には、悪魔は本当にわれわれ自身の投影かもしれない。われわれ自身の本性の最悪の部分や、もっとも怖い部分の投影というわけだ。文学的な観点からすると、悪魔はどうしてもいてもらわなくては困る。そうでないと、われわれがそれを発明しなくてはならない。人間のお話のほとんどにおいて、悪魔は不可欠だ。その善良な敵役よりずっと重要かもしれない。

弱まるサタンの力

 キリスト教教会の力が弱まるにつれて、サタンの力も弱まった。サタンの力が頂点に達してのが、教会の頂点だった13世紀頃だったのも偶然ではない。中世には、悪魔はスコットランドとイングランドの間のハドリアヌスの壁を作り、巨大な石を動かしてメガリスやドルメンを作り、Saint-Cloud や Pont de Valentre at Cahors のような橋を造って最初に渡った人物の魂を要求したとされた。サタンは魔法を行えるが、キリスト教は基本的には魔法の宗教であり、サタンから守ってくれたり、パンとワインをキリストに変えたりする秘蹟(サクラメント)の宗教であり、善悪問わず自然秩序を歪める奇跡の宗教であり、死からの復活と永遠の生の約束の宗教だということはお忘れなく。サタンはその秩序の裏返しを代表している。黒魔術、悪魔との契約、自然秩序を歪める驚異、永遠の若さや驚異の力の約束などだ。サタンの秩序は教会が自分の力を世に広めるために創り出したものだ。異端者、魔女、魔術師は、教会の世界支配に邪魔だった。かれらを排除する必要があった。教会の敵が増えて協力になるにつれて、教会の恐怖政治も強まり、ますます強化された。

 西洋文化において支配的な社会・政治的な力としてのキリスト教の力が弱まるにつれて、サタンの力も弱まった。18 世紀には、少なくともヨーロッパでは、悪魔や異端者の火あぶりはほぼ止まった。今日、キリスト教世界の人々のほとんどは、サタンと交信したからということでだれかを狩りたてて殺せと示唆するのは原始的で野蛮だと考えるだろう。悪魔の名前において悪いことをしているとされる人々であっても、やった悪事のために捕まるのであって、悪魔との結びつきと称するもののためじゃない。ほとんどの警官は、サタン崇拝者たちがやった犯罪を扱うときには、その犯罪者を妄想気味だと考えるだけで、異世界の存在と交信しているとは思わないだろう。

 現代科学の興隆のおかげで、西側文化に対する絶大な影響力の立場からキリスト教教会が凋落したのであれば、現代科学は西欧意識からサタンを悪魔払いしたことについて、部分的に栄誉を担うことになる。もちろん悪魔はまだ死んではいないが、その力は神からきており、そして神の力が弱まればサタンの力も弱まる。いつの日か、神も悪魔も人間の想像力の中の無力な部外者となるかもしれない。が、期待しないほうがいい。多くの神学者たちは、今日の世界の悪(そしてこれがたくさんあるのはみなさんご存じの通り)はサタンの台頭によるものであり、宗教の影響が弱まったせいだと考えている。宗教家たちの思い通りになったら、われわれはみんなもっとお祈りをして、悪魔の業に対して戦っていることだろう。だが他の人(たとえば私)などは、悪魔やその崇拝者よりこの手の敬虔な人々のほうをずっと恐れるべきだと考えている。憲法を改正して学校でお祈りをさせようとするこの手の敬虔な人々について、ある人たちはかれらこそ仮面をかぶった悪魔だと指摘するほど。私はそうは思わないが、神の子どもたちが中絶クリニックで殺人を繰り広げたりするのを見ると、サタンの出番など確かにあまりなさそうではある。それどころか、もしサタンやその手下たちが地球に戻ってきたら、悪魔にとってのおいしい仕事はすべて地球の敬虔なる人々にとられてしまっているのに気がつくだろう。

 現代科学の隆盛が、西洋文化におけるキリスト教教会の至高の影響力減少と関係があるとするなら、現代科学は西洋の意識から悪魔を祓った点についても、部分的にせよ活躍したと言えるだろう。もちろん悪魔はまだ死んではいないけれど、悪魔は神から力を得ていて、神の力が減少すればサタンの力も減る。いつの日か、神もサタンも人間の想像力にとって無力な異物となり果てるかもしれない。が、あまり期待しないように。今日の多くの有神論者は、いまの世界の邪悪(ご存じのとおりこれはたくさんある)はサタンの隆盛と宗教的な力の減少からきていると信じている。かれらの思い通りになったら、われわれみんなもっと祈って、悪魔の笑いに抗すべく活動することとなるだろう。他の人々、たとえば不承わたくしめなどは、悪魔やその崇拝者たちよりは、こうした敬虔な人たちのほうがずっとおっかないと思っている。なかには、憲法改正をして学校での礼拝を強制させようと敬虔に主張する人こそ、人の姿をした悪魔だとまで言う人さえいる。わたしはそうは思わないけれど、神の子供たちが中絶クリニックで殺人をしてまわっているような情況では、サタンの出る幕もあまりなさそうだ。サタンやその一味が地球に戻ってきても、悪魔にとってのいい仕事はすべて、地の敬虔なる者たちにとられちゃっているのを発見することだろう。

 最後に、現代にも悪魔主義者はいて、オカルト魔術やその他反キリスト教的なものすべてに安息と力の源泉を見いだしている。かれらのインスピレーションのもとは、主に敬虔なキリスト教徒たちが、敵に対する狂信的な戦争の中で創り上げた芸術、文学や政策であり、さらにはキリスト教以前のエジプトのセト信仰などの宗教、あるいは非キリスト教オカルト主義者のアレイスター・クロウリーやアントン・ラヴェイなどだ。現代の悪魔主義者たちは、敬虔なキリスト教徒たちによって、子供の儀式殺人や動物のミューティレーションや儀式殺害、音楽レコードに逆回しメッセージを入れて人々に殺人をそそのかしたり、ピザの箱やせっけん包装紙に描かれた悪魔のシンボルを使ってサブリミナルメッセージや秘密のメッセージを送り、道徳の堕落と、われわれの知る文明の破壊を引き起こしている、と敬虔なキリスト教徒によって主張されている。しかしながら、悪魔主義者どもはそれを認めようとしないのである。悪魔主義者たちが、その敵たちの主張するほど邪悪で強力だという証拠は、あまり強固ではない。敬虔な人々の力と邪悪さの証拠のほうが、ずっと強固なものだ。近年、こういう敬虔な人たちが児童福祉員たちや、子供の親や親戚に向けてきた魔女狩りを見るといい。敬虔な連中が多くの人たちに対し、子供に悪魔の儀式による虐待をしているという誤った糾弾をひんぱんに行ってきているのは明らかだ。さらにこの魔女狩りには、熱心なセラピスト敬虔な警察や検察官も力を貸しているのである。

 

関連項目としてはon 魔術, 奇跡, 異端(pagans), ウィッカ, 魔女を見よ。

関連文献

reader comments

Carus, Paul. The History of the Devil and the Idea of Evil (La Salle, Illinois: Open Court Publishing Company, 1974), unabridged reproduction of the original 1900 edition.

de Givry, Grillot. Witchcraft, Magic & Alchemy, trans. J. Locke (New York: Dover Publications Inc., 1971), an unabridged republication of the Houghton Mifflin edition of 1931.

Hicks, Robert D. In Pursuit of Satan : the Police and the Occult (Buffalo, N.Y.: Prometheus Books, 1991).

Hill, Frances. A Delusion of Satan - The Full Story of the Salem Witch Trials (New York: Doubleday, 1995).

Sagan, Carl. The Demon-Haunted World - Science as a Candle in the Dark, ch. 7 "The Demon-Haunted World," (New York: Random House, 1995).
邦訳 セーガン、カール「カール・セーガン、科学と悪霊を語る」, 第七章 "悪霊に憑かれた世界," (青木薫訳、新潮社, 1997).

Smith, Homer W. Man and His Gods, ch. vi "The Rise and Fall of His Satanic Majesty's Empire" (Boston: Little, Brown and Company, 1953).

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Robert Todd Carroll

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Last updated 10/25/98

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