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プロジェクト杉田玄白 趣意書

山形浩生(hiyori13@genpaku.org)
リンクやコピーは黙ってどうぞ。詳細はこちら。


 プロジェクト杉田玄白は、勝手にいろんな本や文書を翻訳して公開しちゃうプロジェクトだ。プロジェクト・グーテンベルグ青空文庫の翻訳版だと思ってくれればいい。あるいはコンピュータ方面に詳しい人なら、Linux の JF とかに相当するものだと思ってくれぃ。もちろんみなさま、杉田玄白のなんたるかは説明するまでもないと思う。


口上

 『青空文庫』というのがあって、著作権の切れたいろんな文章とかをオンライン化して公開している。まあこれはこれでなかなかあっぱれなプロジェクトではあるんだけれど、まあ全体にしょぼいな。これから盛り上がっていくといいな、とは思うけど。

 そのしょぼさの原因の一つは、おブンガク偏重ってのもあるけど、なんといってもみんな古いものばっかだってこと。新作の登録が少ないのも、書評がないせいじゃなくて、この中に自分のを混ぜると場違いだからでしょ。登録するメリットもないし。まあ著作権切れを集めてるから古いのはしょうがないんだけれど、でも古いだけじゃなくて古くさいんだ。特に翻訳は、原作の著作権が切れて、んでもって翻訳者の著作権も切れてという二重の時間がかかってる。戦前だの終戦直後の翻訳なんて、歴史的価値以上のものはどこまであるかな。北原白秋? まあいいけどさ。それに翻訳は翻訳者の許可とか出版社の権利とかでむずかしいんだって。ふーん。じゃあそんなのあてにしなきゃいいのに。自分で翻訳してしまえばいいじゃないか。このプロジェクト杉田玄白は、それをやろうってわけだ。

付記:その後、青空文庫についてのコメントを追加。(1999/04/15)

 ときどき、翻訳家志望だけどどうしたらいいだろう、とかいう人が連絡をくれたりする。翻訳しろよ、というんだけどピンとこないみたいだね。「なにを訳せば」とかきいてきたりする。あと『翻訳の世界』を見たりしていると、仕事のきっかけがなくて翻訳学校に入ったとか、チャンスがなくてどうのとか、くだらん愚痴ばっかが書いてある。ぶわっかもん、きっかけだのチャンスだのは自分でこしらえるのだ。ぼくがバロウズをやったのだって、ベルナール・チュミをやったのだって、クルーグマンをやったのだって、みんな先に勝手に訳してから、出版社にもってってるのだ。だまってて仕事がふってくるとでも思ってるのか。バロウズをやる前は、山形なんて名前すら知られてなかった。チュミをやったときは、変なSFや前衛小説専門だと思われてて、どうまちがえても建築の本なんかの仕事がくる訳者じゃなかった。クルーグマンだって同じだ。「こういうものを、こういうふうに訳した!」というのを見せられないヤツに、なんの機会があるはずもないじゃないか。

 さらに、世の中にはアレとかコレとか、ろくでもない翻訳の本がゴロゴロしているのである。別宮貞徳の『欠陥翻訳』シリーズはそういうのの指摘でおもしろかったけれど、でもあれだけじゃせいぜいが、翻訳者たちのせめてもの反面教師どまりかな。だって、言ったって無駄なんだもん。下手だといわれて、それを理解して反省するような殊勝な訳者は、そもそもそんな恥ずかしい翻訳はしないのである。いちばんろくでもない翻訳は、外国語の能力もない、日本語も書けない、それなのに自分が翻訳できると思っている、良心か恥かその両方を欠いている自堕落なヤツがやっているのだ。
 さらにふつうの読者は、ダメな翻訳だと言われたって、わかんないのだ。実際にダメでない翻訳を見せてあげないと。さらに、ダメな翻訳だということがわかっても、なんの役にもたたないのだ。ダメでない翻訳がちゃんと読めないと。そしてダメでない翻訳が出回るようにならないと、ダメな翻訳は相変わらずのさばり続けるだけだろう。

 そしてもう一つ、埋もれている翻訳とかは世の中に結構あるのだ。むかし本多勝一が、だれかがフレーザーの『金枝篇』を全訳しちゃってて出すあてがない、とか書いていた。あれはどうしたろう。あるいは身近なところでは、柳下毅一郎。こいつは、R・A・ラファティの『地球礁』を全訳していて、さらにはその版権まで持ってたんじゃなかったっけ? (付記:持ってないってさ。でも交渉はしたんじゃなかったっけ? いずれにしても全訳があるのは事実。その後単行本で出ました。)あれが「すん」に連載されたきり消えてしまうのはあまりに残念。ぼくも実は、いまの邦訳があんまりなので勝手に全部改訳しちゃった本とか、出すあてがないのに何章か訳しちゃった本というのがいくつか手元にあるのだ。オールディス『ヘリコニアの春』とかロレンス・ダレル『アヴィニョン・クインテット』とかカント『純粋理性批判』とか。

 プロジェクト杉田玄白は、これを一気に解決はしなくても、多少は改善しようというプロジェクトだ。訳したい人が、訳したいもの(それもパブリックドメインに入っているもの)を勝手に訳す。それをまとめて公開する。話はそれだけだけれど、それができれば以下のような効果があるはずではないか:

 というわけで、自分でさっさとはじめることにした。ある程度翻訳がたまれば(そしてそこの場としての質が評価されれば)、ここに協力することで翻訳者としての売り込みもしやすくなるんじゃないか。「あたしはプロジェクト杉田玄白で『資本論』の第3章をやって、それがちゃんと正式リリース版に反映されてます!」という具合に。


やり方

 こういうのがどこまで賛同されるのかはわからない。確率 70% くらいで、いつまでたってもぼく一人がシコシコやっていることになるかもしれない。(追記:これはうれしい誤算。かけ声だけのときは反応がなかったけれど、最初に何作か自分で登録したら、名乗りをあげてくれる人がボチボチ出てきた。わーい。)まあそれでもいいとは思うけれど、主旨に賛同してくれる人が、どんどん加わってくれるとおもしろいだろうな。そしてそこで、翻訳でもバザール方式を実験してみたいのだ。
 これまで『伽藍とバザール』『ハロウィーン文書』『GNOME ユーザガイド』とか、ネットワークで公開した翻訳については、誤植やまちがいなんかについてどんどん読者のみなさんから指摘がきた。それをいつも反映させることで、かなり急速に改善できている。それに、翻訳していてよく思うのが、自分では調べがつかないいろんなことがあって、これをベータ版で公開していろんな人の知見を活かせないかなってこと。この単語がわからんとかいう時もあるし、あとから「ここんとこはわかりにくい」と指摘してもらえるだけでかなりちがうはず。ネットではまさにこれができる。「ここんとこわからない」と書いておけば、だれかが教えてくれるし、「これってどういう意味?」と質問もくる。つまり翻訳ってのも、バザール方式でできるはずなんだ。

 もちろん成果は自由に複製配布可……といきたいとこだけど、商業利用はどうしようかな。本にして出版するとかいうときは、訳者代表と交渉してくれ、ということにしようか。せこいな、それは。基本は好きに使っていいことにしよう。ただしそれだと、原文の制約があったりしてつらいこともあるから、いくつかレベルをつくろう。完全自由と、多少は制限がつくものと。
 ただしネット上での処理に関する限り、だれでも許可なんかまったくなしで改変可、その際のクレジットは必ずつける、さらに改変したものは、同じ条件下でしか配布できないという、GPL もどきみたいな方式にしたい。いまの翻訳が進歩しないのは、翻訳者がえらい先生づらして、翻訳も作品でございというような気分でいるからだ。「あたしの翻訳いじってくれるな」ではいつまでたっても先にいけない。翻訳なんか、作品でもなんでもないぞ。もっともっと機械的なものだと思う。それに、いろんなえらい先生だの作家だのがやった翻訳って、そんなにうまくないぞ。創元推理文庫の『ポオ全集』の「ベレニス」は大岡昇平かなんかがやってるけど、頭からちょっとまちがってるし、あんまりうまくない。村上龍の『イリュージョン』(リチャード・バック)でも島田雅彦の『ルビコンビーチ』(スティーブ・エリクソン)でもしかり。翻訳に関していうなら、大岡昇平や村上龍や島田雅彦よりうまい人はたくさんいる。だって、こいつら下訳に頼って、おそらく自分では原文見てないもん。
 だからもう、完全なフリーソフト方式だ。たとえばぼくが『不思議の国のアリス』をやって、ほかの人がそれにまちがいを見つけたり、「こうやったら?」というのがあったら、山形にメールで連絡する。細かい話は山形がそのまま反映させればいい。かなり大きな部分について改訂があれば、その人はパッチを公開し、山形はそれを検討して、次期バージョンに反映させるか、あるいは却下する。パッチの人は、山形の説明に納得すればそのパッチを引っ込めるか、それでも非公式パッチのままでそれを出回らせるか、あるいは自分なりの新しいバージョンの翻訳を公開しよう。同じ作品に対して複数の翻訳があるのは当たりまえだ。ただし配布パッケージで、どこがどうちがうのか(どう優れているのか)についてはコメントしたほうがいいな。なんかそういうのでやってみたい。まあ、当分そんな段階まではいかないだろうけれど。

 あとは、やはりどうしてもダメな訳ってあるはず。開発途上バージョンと、正式リリース安定版というのとも分けるべきでしょうな。それの仕訳は、まあぼくとかがやるしかないんだろうなあ。ボランティアだから下手な訳でも、という考え方はあるけれど、それではみんな進歩しないし、向上もないし、信用も下がるし、いいことないだろう。ちゃんと評価はしよう。ヘタすりゃずっと開発途上のまま。その覚悟はもってほしいな。ただし個別指導はしないけど。

 それと、一部のものについては、既存の翻訳をお金を出して買う手はあると思う。ぼくはフリーソフト系の雑文なんかで稼いだお金は、だいたいフリーソフト系のプロジェクトに寄付している。最近はこの手の仕事も増えてきたし、ある程度はおぜぜは出せるのだ。『ガリヤ戦記』を 20 万くらいで、上記のような条件で公開させてくれないかな? どうせこの先大増刷されて大儲けできるようなもんじゃないし、それにたとえばトルストイの『戦争と平和』全訳をオンラインで公開したとしても、それが訳書のうりあげにどこまで影響するか? ぼくはあまりしないと思う。人の目に触れる機会も増えるし、知名度があがって、かえって売上に貢献すると思う。


ラインアップ

 別に決まってるわけじゃない。下のリストは、単にいま書きながら思いついたのをずらずらあげてるだけ。手が着いてるものがなぜこんなにあるかというと、むかしからまあこんなことはちょいちょい考えてはいたからなのだ。また、別にこのリストに入ってるからといって、優先されるとかそんなことはない。だれかがはじめれば、それははじまる。そんだけの話だ。

すでに手をつけているもの:

やろうかと思っているが手をつけていないもの

だれかやってほしいもの

とっくの昔にあってしかるべきだと思うもの


ボランティア求む!

 というわけで、上の条件(特に他人に勝手に無断でギタギタに翻訳を変えられても怒らないという条件は必須)をのめる人は、まあたとえばプロジェクト・グーテンベルグのページでも見て、「これを訳したい」というのがあったら、どんどん訳して連絡していただければ幸甚。
 また、こんな条件はいやだ、という人も、これをきっかけにどんどん勝手に翻訳して発表していってもらえるとおもしろい。すでにいくつかオンラインで各種の翻訳を公開しているところはある。そういうのも、教えてもらえればリンクはできるだろう。
 特にコーディネートは必要ないと思う。同じものについて複数の翻訳があってもいいんだもの。でも、たとえば同じ作品を訳している人同士が、「じゃああたしは前半であなたは後半」とかいうのができるのも望ましい。進行中の作品について、どっか(たとえばここ)にリストをつくっておいて、連絡がとれるようにしておけばいいのだな。

 しばらくは合法的にやってみよう。でもいずれは、たとえばいま出ているろくでもない訳書について、勝手に改訳版とかをつくって出せないもんだろうか。たとえば、ベルヌ条約に加盟していない国のドメインにサイトをつくって、そこにおいておいたらどうなるのかな。なーんか手だてはないものか。というようなことをいま考えている。

プロメテウスキャンペーン  いまはまだ、思いつきのかけ声だ。でもここ半年くらいで、デカルトとアリスは終わる(1999.11.1 終わりました)。少したまってきたところで、いま書いたような細かいやりかたを考えてみよう。たぶんいま書いてきたような仕組みが、もっと説得力をもつようになるんじゃないかな。ならなくてもいいや。フリーソフト運動が、別にマイクロソフト打倒のためにあるわけじゃないように、ぼくだって岩波文庫打倒をめざしてるわけじゃない。ぼく一人で終わっても、それはそれで仕方ない。ぼくは訳したいものが訳せる。読者は、まあ読む選択肢が増える。フリーの文書が増えて、情報や知的資産の共有化はすすむ。だれも損はしない。みんな得する。それでいいじゃないか。そういうこと。

 たぶんこれは、このプロメテウスキャンペーンなんてのともからんでくるのであろう。 ではみんな、楽しくがんばろうではないの。そして読者よ、刮目して待て! (あ、いや、あまり待ってるばかりじゃなくて、少しは労力を投入してね)

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