建設的計画(具体的国家建設計画):その意味と役割

CONSTRUCTIVE PROGRAMME: Its Meaning and Place


Valid XHTML 1.0! Mohandas Karamchand Gandhi

訳:岡田晃久

翻訳権がまだ片づいていないため、まだ仮公開。
原文は http://members.tripod.com/~ascjnu/const.txt


初刷1941年。改定と追加編集は1945年にされた。
Scanned from The Navajivan Trust, Ahmedabad's reprint of May 1991 by Amman Madan (madans@jnuniv.ernet.in) of the Academic Staff College, Jawaharlal Nehru University, New Delhi. 校正間違いは御了承ください。

Navajivan Trust はこの文書をオンラインで置くことをとても快く許諾してく れた。この文書の著作権は Navajivan Trust にあり、印刷版を求める人は下 記に連絡すること。

Navajivan Trust
P.O. Navajivan
Ahmedabad 380 014
India

「建設的計画」の印刷版の価格は Rs 3である。
ガンジーの書いた他の多くは安価に入手できるだろう。

ガンジーの小冊子のこの版は、この作業をすることによって、より多くの人が ガンジーの仕事の恩恵をうけられるようになるという信念のもとに人文教育学 専攻科のウェブサイトに置かれている。一切の料金や金銭的報酬は要求しない。

教師の方へ:
この稿は学生にとって特に読む価値があります。数行の中にインドにおける伝 統的な教育の役割について痛烈な批評があらわれます。

特殊表記:
アスタリスクで囲われた文字(例 *khadi*) はイタリック書体とみなすこと。
ページ数は文書内にあります。

注:html版では、ページ番号は省いた。目次などはハイパーリンクとして処理してある。また、イタリクスもイタリクスにしてある。


 これは私が1941年に初めて書いた建設的計画の全面改訂版である。ここでと りあげられた項目は、なんの順序もあるわけではないし、特にこの項目の順番 が、その重要性の順になっているようなことはない。独立の観点から重要なの に、この計画に見当たらない項目に読者が気づいた場合にも、その省略が意図 的になされたものでないことは認識してほしい。そしてためらわずにその項目 を私のリストに加えて、私に知らせてほしい。私のリストが、完全に網羅的な ものだというふりをするつもりはない。むしろ、代表的な例をあげただけだ。 読者はいくつか新しくて重要な追加が行われていることに気がつくはずだ。

 労働者やボランティア、あるいはそれ以外のいずれにせよ、読者ははっきりと この建設的計画が本当に非暴力的に{Poorna}スワラージ(自治)を勝ち取る方法 だということを理解すべきである。大規模な実現は完全な独立である。本当の 底辺から上向きに建国することが描かれたこの建設的計画の全貌に忙しく従事 している4億人全員を想像してみなさい。これが外国の統治の立ち退きを含む あらゆる意味において完全な独立を意味するに違いない提案であることに誰が 異論をさしはさめるだろうか。この提案を批評家たちが嗤う時、彼らが言いた いのは4億の人々は決してこの計画を実現する努力を支えあわないということ で、なるほど、確かに少なからぬ真実が嘲笑の中にあるものである。私の答え は、これは依然として試みるに値することで、まじめな労働者の一群による不 屈の意志を与えられるのなら、この計画が他のどのような計画と同じくらい実 現可能であり、ほとんど上回るものだということである。とにかく、非暴力が 基になっている方法であるならば、わたしはそれに変わる方法を持たないのだ。

 大勢あるいは個人における市民による不服従は建設的努力の助けになり、武力 による反乱に完全にとって代わるものだ。訓練は市民による不服従も武力反乱 と同様に必要だ。その方法は異なる。行動はどちらの 場合でも必要に応じて生じる。軍事反乱にとっての訓練とは、おそらくは原爆 を頂点とする武器の使い方を学ぶことだ。市民による不服従にとっては、この 建設的計画を学ぶことを意味する。

 したがって、労働者は市民抵抗を警戒することは無いだろう。彼らは建設的努 力が打ち負かされようとするならば、進んでこれを維持してくれるだろう。一 つか二つの実例からこの計画がどこで実施可能で、どこで実施可能でないのか を見てとることができる。私達の知る政治公約は妨げられてきたし、妨げられう るが個々人の人間的な友情は妨害できない。そのような私心が無く誠実な友情 は政治公約の基礎とならなければならない。同様に、集約されたカーディは政 府によって打ち破られうるが、カーディを個人で手作りして、使うことをやめ させる力はないのだ。このカーディの手作りと使用は人々に無理強いするもの であってはならないが、自由運動の項目の一つとして聡明に自発的に受け入れ られるべきである。こんな計画においてさえ、先駆者たちは妨害されうる。彼 らは世界中いたるところの苦難の炎を通り抜けて行かなければならなかった。 受難無くしてスワラージ(自治)はない。暴力の場合、真実は最初の大きな犠牲 者である;非暴力の場合は真実はいつも常に勝利を納める。そしてまた、政府 を構成している人々は敵として見なされてはいない。彼らをそのよう に見なすことは非暴力の精神と相容れないものとなろう。わたしたちといまの 政府の人々とは、いっしょには活動できなくても、友人として見なさねばなら ない。

 もしこの前置きの意見が読者の胸を打ったならば、その読者はこの建設的計画 に深い興味を抱くことだろう。これはいわゆる政治や演説と同じくらい面白い もので、まちがいなくそれらより重要で役にたつものであるはずだ。

Poona, 13-11-1945
M. K. Gandhi


目次


はじめに
1. 宗教の団結
2. 不可触の排除
3. 禁止
4. カディー
5. 他の村産業
6, 村の衛生
7. 新しい、あるいは基本的な教育
8. 社会人教育
9. 女性
10. 健康と健康法についての教育
11. 地方言語
12. 国家言語
13. 経済的平等
14. 農奴(キサン)
15. 労働者
16. ADIVASIS
17. ライ病患者たち
18. 学生
不服従の役目
結論
付記:
I. 牛の改良
II 議会の位置づけ


はじめに


 この建設的計画はほかに、よりふさわしく、 真理と非暴力的方法によって{Poorna}スワラージの確立とか完全な独立と呼ばれ る。

  暴力を使い、したがって必然的に不誠実な手法による、独立への努力と称するも のについては、われわれはすでにあまりに痛々しい形で思い知らされてきた。目 下の戦争における、財産や生命、真実が、毎日のように破壊されているさまを見 てみるがいい。

  真実と非暴力による完全な独立というのは、国民のもっとも慎ましやかな者であ ろうとも、人種、肌の色や信条による差別一切なしに、あらゆる存在が独立する ということだ。この独立は、一部の人々だけの特権ではありえない。したがって それは、国内国外における相互依存と相容れるものなんである。実践は、いつも 理論よりは劣ったものとなる。直線でさえ、実際に描いたものはユークリッド幾 何学の理論的な直線に劣るものだ。したがって、完全な独立といってもそれは、 われわれの真実と非暴力に対するアプローチの実践がどこまで完成されたものか という、その度合いまでしか完全ではありえないのだ。

  まず読者はこの建設的計画の全体を頭の中で計画してみてほしい。そうすれば、 これが成功裏に実現されれば、最終的にはそれがわれわれの求める独立になる、 ということに合意してくれるだろう。Amery氏は、主要党派の間で合意が成立 すれば、つまりわたしのことばに置き換えると、建設的計画の中のたった一項目 にすぎない宗教間の団結がなされた「後で」行われる合意なら、それは すべて尊重されると述べたではないか。

 かれのこの発言が誠意あるものかどうかを疑ったりする必要はない。というの も、そのような団結が正直に、つまり非暴力的に実現されたなら、それ自身が 合意された要求を受け入れさせるだけの説得力を持つことになるからだ。 一方、暴力による独立については、想像上の定義はおろか、完全な定義すら存在 しない。なぜならそれは、最も効果的に暴力を行使する国民政党が支配力を持つ ようになると想定しているだけからだ。そこでは経済的にせよその他にせよ、完 全な平等など考えられない。

 しかし私の目的、つまり非暴力の努力によってこの建設的計画を最後まで やり通す必要性を読者に納得してもらうことだが、そのためには、独立の達成 のための暴力の無意味さについての私の議論を受け入れる必要はないのだ。 結果として国民によってこの計画を完全に実行すれば独立は確実だということさえ 認めてくれるなら、最下層の人々の独立が暴力による方法でも実現できる と読者が信じてくれてもまったく差し支えない。

 それでは、これより個々の項目を考察しよう。

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1. 宗教の団結


 誰もがこの団結の必要性については同意する。しかし、この団結というのが、 強制可能な政治的な団結では必ずしもない、ということは、みんなが知ってい るわけではない。これは壊れることのない心の団結を意味するのだ。このよう な団結のためにいちばん重要なことなことは、すべての会議派党員が、自分自身の 宗教が何であれ、ヒンドゥー教、イスラム教、キリスト教、ゾロアスター教、 ユダヤ教など、つまり全てのヒンドゥー教徒と非ヒンドゥー教徒を、自ら代弁 するということだ。自分のアイデンティティがヒンドスタン(インド中央部の 平原地方)の数百万の住人一人残らずと共にあることを感じなければならない。 これを実現するには、全ての会議派党員は他のさまざまな宗教の人々と、個人的に友情 を育まなくてはならない。他の信仰に対しても自分の信仰と同等の敬意を払わな ければならないだろう。

  このような幸福な状態にあっては駅で「ヒンドゥー教徒の水」と「イスラム教徒 の水」とか「ヒンドゥー教徒の茶」と「イスラム教徒の茶」などのような恥ずべ き売り声は無くなるだろう。学校と大学で部屋やポットで、ヒンドゥー教徒用と 非ヒンドゥー教徒用が区別されることもなくなるだろうし、宗教別の学校、大学、 病院なども無くなるだろう。この革命の口火は、なんら政治的な下心なしに正し い行為を行おうとする議員たちがきらなくてはならない。その自然な成果として、 政治的団結だって実現するだろう。

  私たちは長い間、力は立法議会を通してのみやってくると考えることに慣れてし まっている。私はこの信条を惰性や催眠状態によってもたらされたとんでもない 間違いだと考える。

  イギリス史についての非現実的な研究のおかげで、あらゆる権力というのは 議会から人々へと流れ落ちてくるものだ、と私たちは考えるようにし向けら れている。真相はといえば、権力は人々の中に存在しているのであって、そ れが一時的に、人々が代表として選んだだれかに信託されるのである。議会は 人々と切り離されれば、何の権力もないどころか、存在すらできない。過去 21年にわたってわたしが努力してきたのも、この簡単な真実を人々に納得し てもらうことだった。市民の不服従は、権力の宝庫である。人々がみんな、 立法府の法律にしたがうのを拒否して、不服従の結果(としての罰)にも耐 える覚悟を決めたらどうなることか! 彼らは立法および法執行の全機関を 停めてしまえるのだ。検察や軍隊は、少数派であればどんな に強力なものであっても、恫喝するのに使える。でも、さいごまで苦しむ覚悟 ができている人々の断固とした意志は、警察や軍隊のどんな脅しでも曲げる ことはできない。

  そして議会の手続きというのは、その成員が多数派の意志にしたがうつもりが あって初めて有効になる。言い換えると、それがそこそこ有効なのは、お互いに 相容れる立場の人々の間にあってだけなのだ。

  ここインドでは、分離した選挙位階のもとで、議会システムを運営するふりをしてきた。分離した選挙位階のおかげで、選挙位階同士が人工的に相容れない存在となって いる。生きた団結は、こうした人工的な存在たちを同じ土俵に集めたところで、 決して生まれてはこない。そういう立法府も機能はするかもしれない。でもそん なものは、だれであれ支配者たちのおこぼれのような、権力のかすをとりあい、 共有するための土俵にしかならない。その支配者たちは鉄の棒によって支配し、 反目する派閥同士が殺し合うのを防ぐ。このような恥ずべき代物から、完全な 独立が生まれるなどということはあり得ない、とわたしは考える。

  このような強い意見を持ってはいるけれど、選挙による組織に望ましからぬ 候補者がいる以上、インド国民会議派としても反動勢力がそうした組織にも ぐりこむのを防ぐため、議員をたてるべきだ、という結論に私は達している。

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2. 不可触制の廃止


 今日、ヒンドゥー教におけるこの汚点と呪いを廃止する必要性については詳述す るまでもない。会議派党員たちはこの件について確かにいろいろ実行してきた。 しかし、残念ながら、多くの会議派党員がこの件を単なる政治的必要性として見 ており、ヒンドゥー教徒についていえば、ヒンドゥー教のまさしく存続のために は避けて通れないものとは見ていないと言わざるを得ない。ヒンドゥー教徒の会 議派党員が、この問題自体の重要性のためにこの主張を展開するなら、いわゆる *Sanatanis*に、これまでよりずっと大きな影響を与えられるだろう。彼らはこの ことに対して武力による精神ではなく、彼らの非暴力思想にふさわしく、友情の 精神にのっとって取り組むべきだろう。そしてハリジャン(訳注:不可触民に対 してガンディーがつけた新しい名前)について言えば、全ヒンドゥー教徒はかれ らと共通の基盤を確認し、ひどい隔離状態にあるかれらと友だちになるべきだ ――インドで目撃されるような、すさまじくひどい隔離状態というのは、世界が これまで見たこともないほどひどいものだ。私は実際の経験からみて、こ の仕事がどんなに難しいか知っている。しかし、これはスワラージの体系 をうち立てる仕事の一部である。そして、スワラージへの道は険しくて狭い。 多くの滑りやすい上り坂と多くの深い裂け目がある。これら(の障害)は全て 私たちが頂上にたどり着きその自由の新鮮な空気を呼吸できる前に、しっかりし た足取りで協議されなければならない。

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3. 禁酒・禁麻薬 (PROHIBITION)


 宗教の団結と不可触制の廃止と同様に、PROHIBITIONは1920年から会議派 の計画であったのに、会議派はこの生活と社会と道徳に関する重要な改革に 対し、当然はらうべき関心を払ってこなかった。非暴力運動を通して私たち の目標を実現するつもりであるなら、泥酔や麻薬の呪縛に苦しんでいる数十万人の男女 の運命を未来の政府に任せっぱなしにしてはならない。

  医療従事者はこの害悪の廃止に向けたもっとも効果的な貢献ができる。彼らは アルコールや阿片の中毒者をこの呪縛から解き放つ道を見いださなければなら ない。

  女性と学生にはこの改革を進めていく特別な好機がある。愛情のこもった多く の奉仕活動によって、彼らは中毒者にこの悪しき習慣をやめるようにという呼び かけに従う気にさせる力を獲得できるのだ。

  会議派委員会は疲労した労働者が手足を休ませ、健康と安価な軽食を得、適切 なゲームを見つけられる娯楽施設を開設できる。これらの仕事はすべて魅惑的で 気持を高揚させる。スワラージへの非暴力の取り組みは新鮮な取り組みだ。そ のなかでは古い価値は新しいものへと置き換わる。暴力の道ではこのような改 善の機会は見当たらないかもしれない。あの道の信奉者たちは、短気さと、私 に言わせてもらえば、無知によって、このような事柄を解放の日まで先送りに するのだ。彼らは永続的で健全な解放が内側より、すなわち自己浄化により得 られるということを忘れている。建設的な活動家たちは、法律による禁止を支 はしないにしても、それを簡単でうまくいくものにする。

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4. カディー


 カディー は意見がわかれる問題だ。多くの人が カディー を提唱することで 私が風潮に逆らっており、スワラージの船を沈めてしまうに違いないと、そして 私がこの国を暗黒時代へと連れて行こうとしていると考えている。私は この短い概論のなかで カディー 弁護論を述べるつもりはない。他のところ ですでに十分に議論してきた。ここで私は全ての会議派、そしてさらに全てのイン ド人が カディー の運動を推めて行くためになにができるかを説明したい。それ はこの国における全ての経済的自由と平等の開始を意味している。「プリンの 味は食べてみてわかる」。みなさんもやってみよう、それで私の主張の正しさを 自分自身で確かめられると思う。カディー はそれが意味する全てのこ とをふくめ、全面的に受け入れられる必要がある。それは大規模なスワデシ(国産品 愛用)の精神を意味し、全ての生活必需品をインド国内に見い出す決意とさら にそれが村の住民たちの労力と知恵による製品であることを意味している。これ は現行のプロセスの 逆転である。つまり、インド6都市と大英帝国がインドの70万の村への搾取と 荒廃の上に生きていくのをやめて、村が多くを自給自足できて、両方の利益が 得られる範囲でのみインドの都市や外国に対してすらも自発的な貢献ができるよ うになることなのだ。

  これは多くの人の精神と嗜好について革命的変化を必要とする。多くの点で、 非暴力の道は簡単なのだが、多くの場合ではとても困難なこともあるのだ。

  これは全てのインド人一人一人の人生に決定的に関わる事柄であり、インド人 の奥底に隠されていた力の獲得で、彼を生き生きとさせ、インド的人間性とい う大海の一滴一滴すべてについて、自分のアイデンティティが誇らしくなるの だ。

  この非暴力は私たちがこの長い間ずっと取り違えてきたような無力さでは ない。いまだかつて人類が知る最も有効な力であり、まさしく人類の存在がかかっ ているものなのだ。それは私が会議派とそれを通じて世界に向けて提議した い力である。私にとってカディーとはインド人の融和の象徴であり、その経済的 自由と平等の象徴である。そして、それゆえ究極的には、ジャワハラル=ネルー の詩的な表現での「インドの自由のための装い」なのだ。

  さらに、カディーの考え方は生産の分散と生活必需品の分配を意味している。 したがって、これまで発展してきた方式というのは、どの村でもその必需品の 全部に加えて、一定割合を多めに、都市の要求に応えるために生産するという ものだ。

  重工業は、中央化されて国有化されなくてはならない。しかそそれは、主に村で 行われる広大な国家活動の中で、少なくとも一部は占めることになるだろう。

  カディーの意義を説明をしたので、それを推進するために会議派の人々がそれ を推進するために何ができるか、何をすべきかを示さなくてはならない。カディー の生産は、綿花を栽培し、摘み、綿繰りをし、洗い、梳毛し、篠にして、 紡ぎ、糊づけし、染め、織り機用に整え、織り、洗うという作業を必要とする。 これは、染めをのぞけば不可欠なプロセスだ。そしてその一つ残らず、村で 立派にこなせるものだし、だからAISAのカバーしているインド中の多くの村落 でまさに実行されている。 最新の報告の中で、以下のような興味深い数字が出ている:1940年には、 2,75,146 人の村民たち、そのうちハリジャン 19,645 人で 57,378人がムスリムだが、それが紡ぎ手などとして最低でも 13,451 の村に散って 34,85,609 ルピーの稼ぎを得ている。紡ぎ手たちの多くは女性だった。

  でも、こうして実現された仕事は、会議派メンバーたちが本気でカディー プログラムに取り組んだら実現できるものの、百分の一にも満たない。 この中心的な村の産業とそれにともなう手工芸の無慈悲な破壊以来、 村からは知性と知恵が流出し、人々は無力で無気力のままに残され、そ してかれらの世話の行き届かない家畜たちと五十歩百歩の状態にまで 退行させられてしまっている。

  会議派メンバーたちが、カディーについて会議派の呼びかけに心から取り組む のであれば、AISAがときどき出す指示にしたがって、カディー計画の中で自分の できる役目を実行するはずだ。ここでは、大きな原則をいくつか挙げるに とどめる:

  1. 土地を持った家族は、少なくとも自分の家族が使う分の綿花くらいは育て られる。綿花栽培は簡単だ。ビハールでは、耕作者は全耕作地のうち、3/20に ついてはインディゴを育てなくてはならないと法律で強制されている。これは 外国のインディゴ栽培業者のためだ。なぜ自分たちの土地の一部について、 自発的に綿花を育てられないのだろうか。読者は、カディーのプロセスの はじめから非集約が始まっていることに気がつかれるだろう。いまの綿花は 集約化されていて、インドの遠いところまで輸送されなくてはならない。 戦争前には、おもにイギリスと日本に送られていた。それは昔も今も、金銭作物 であり、したがって市場の変動に左右されることになる。カディー方式の もとでは、綿花栽培はこの不確実性とギャンブルから解放される。栽培者は、 自分の必要なものを育てる。農民は、自分がなによりもやるべき仕事は、自分の ニーズのために栽培することなのだ、ということを知るべきだ。農民がそれを 知るなら、市場の低迷で破滅させられるという可能性は減ることになる。

  2. すべての紡ぎ手は、もし自分ですでに持っていないなら、綿繰り できるだけの綿を買うことになる。綿繰りは、手作業での綿繰り用 ローラーフレームがなくても簡単にできる。自分の分の綿繰りは、 板と鉄のローリングピンがあればできる。実行不可能だと 考えられている場合でも、手繰りの綿が変われ、梳毛されるべき だ、自分で梳毛するのは、小さな弓を使えばじゅうぶんにできる。 労働をなるべく非集約化することで、使う道具も単純で安上がりに なるのだ。
    篠ができれば、そのあとは紡績だ。わたしはダヌシュタクリ を強く奨める。わたし自身、よく使っているものだ。ダヌシュタクリを 使ったときのわたしの紡ぐはやさは、紡ぎ車を使ったときよりもはやい。 とはいえ、これはおそらく、万人に当てはまるわけではないだろう。私がこの ダヌシュタクリを強く奨めるのは、それが簡単に作れて、より安価で、 紡ぎ車のように頻繁に修理をしなくて良いという事実に基づいている。 二本のmal(動力伝達用の糸ベルト)が滑べったときにその作り方と調整の仕方 を知らないと、あるいは紡ぎ車が動かなくなったときにそれを正しい状態にす るやり方を知らないと、紡ぎ車はよく使われずに放棄されてしまう。さらに、 もし何百万の人がいますぐ糸紡ぎに取り組むことになるなら(そうせ ざるを得なくなるだろう)最も簡単に作られ扱えるこのダヌシュタクリのみ がその需要に応えられる道具なのだ。
    それは単純な*タクリ*よりももっと簡単にできる。最高の簡単で安い方法は、 自分でそれを作ることだ。そして人は、みんな簡単な道具を扱ったり作ったりする 方法を学ぶべきなのだ。国じゅう全てが一斉に糸紡ぎまでの工程に参加したときの 団結と教育的効果を 想像してみて欲しい。富める者と貧しい者{the goer}が同じ労働をすることで、 共通の絆ができれば、どれほど平等意識が高まるかを考えてほしい。

 こうして作られた織り糸は三通りの使い道がある。貧しい人のために全インド 紡績協会へ寄付する、個人用に編む、それでなるべく多くのカディーを買って 手に入れるか、だ。上等で良質な糸ほど優れたものなのは十分に明白だ。 会議派党員がこの仕事に熱中するならば、彼らはこの道具を改良して行くだろ うし、多くの発見もするだろう。私達の国では労働と知性が分離してしまい、 その結果として停滞が生じている。 もしその2者の間に分かち難き結婚があるなら、そしてそれがここで提案 されたような形をとるなら、その結果として生じる価値は計り知れないものとな ろう。

 この国を挙げての犠牲としての糸紡ぎ方式で、平均的男女がこの作業にかける 時間は毎日一時間以上にはならないはずだ。

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5. その他の村落産業


 これはカディーとは立場が異なっている。ここでは、自発的労働が 入り込む余地はあまりない。各産業は、ある一定数の労働力を必要とするだけだ。 これらの産業は、カディーの助けとして存在する。カディーなしでは存在できないけれ ど、カディーはこうした産業なしでは尊厳を失ってしまうのだ。村落経済は、 手による製粉、手によるパン製造、石鹸製造、紙の製造、マッチ製造、タンニング、 圧搾製油などの基本的な村落産業なしには、完全なものとはなりえない。会議派党員 たちは、こうした産業に自ら関心を持ち、もしその党員が村人であったり、 あるいは村に定住したりするなら、こうした産業にあたらしい活力と新しい 装いを提供することができる。全員が、存在する範囲でなるべくその村の 製品だけを使うことを名誉と考えるべきである。需要を考えれば、われわれの 必需品のほとんどはインドの村から供給できるのはまちがいない。われわれ が村を中心に考えるようになれば、西洋のイミテーションや機械でつくった 製品などはほしがらないようになるだろう。そして貧困状態や飢餓や怠惰など が一掃された新しいインドのビジョンと歩調をあわせた、真のインド趣味を 発展させることになるだろう。

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6.村の衛生


  知性と労働力の分離は結果として、犯罪的なまでの村落の軽視を生み出 してしまった。だから、田園に点在する優美な村落を持つ代わりに、私 達が持っているのは糞の山だ。多くの村へ接近するのは、すがすがしい 経験ではない。しばしば目を閉じ鼻をふさぎたくなるであろう。 村をとりまく汚れと悪臭があまりにひどいからだ。もしもしも会議派党 員の多数派が、本来あるべきように私達の村の出身だったなら、彼らは 私たちの村を、清潔さという言葉のあらゆる意味におけるモデルに仕立て あげられるはずである。しかし、彼らは日々の生活の中で村人たちと自分 を同一視することが自分の義務だとはまったく考えてこなかった。

  国や社会の衛生に関する感覚は、わたしたちが誇れる水準になってはいな い。私達は一種の風呂に入るかも知れないが、その中や脇で入浴を行うこ とで、井戸やタンクや川を汚すことについては、私達は気にもとめない。 私はこうした欠点を大きな悪徳だと考えているし、これがわれわれの村や、 聖なる川の聖なる河岸のみっともない状況や、不衛生のため突如として現 れる病気の原因だと考える。

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7.新しい、あるいは基礎的な教育


  これは新しい課題である。しかし、運営委員会のメンバーはこの課題にとても大きな 興味を示し、ハリプラ集会(訳注:国民会議派の 1938年の集会か)以来、活動してきた Hindustani Talimi Sanghの組織へ、 これを取り組むべき仕事として割り当てたほどである。 これは多くの会議派党員にとって大きな仕事の領域である。この教育は村の 子どもたちを模範的村民に変えるためのものである。この課題は、もっぱら 村の子どもたちのためのものなのだ。その発想は村から生じたものだ。 スワラージの構造をそのまさに根幹から築き上げようと欲する会議派党員は、 ぜったいに子どもたちを軽視してはならない。外国の支配は、無意識のうちでは あってもきわめて着実に、教育の分野で子どもたちを対象に始まっているのだ。 インドの村と、さらに言うならその都市に必要なことを考慮 しないで設計された初等教育など、茶番でしかない。

  基礎教育は子どもたちを、都市にいる子であれ村にいる子であれ、インドにおける 最良で永続的なもの全てと結びつける。それは体と心の両方を鍛え、 彼や彼女が学校での経験のまさに始めから、その分け前を 受け取っているのだという認識により、未来の輝かしい光景を通じて子どもたちを 地域に根付かせる。

  会議派党員はこの教育が夢中になるほどおもしろく、接触する子どもたちのみならず、 自分自身にとっても有益であることを発見するはずだ。希望者は、Sevagramで Sangh事務官と連絡をとるようにさせること。

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8.成人の教育


  これは会議派党員によってなさけないくらい無視されてきた。無視されていない 場合でも、文盲者に読み書きを教えるくらいでみんな満足してしまっている。

 もし私が成人教育の担当だったならば、私は大人の生徒たちの心を開かせて、 自分の国の偉大さと広大さを認識させるところから始めるだろう。 村人たちにとってのインドは、自分の村だけで閉じてしまっている。 他の村にいったら、彼は自分自身の村を故郷として語る。ヒンドスタンは その人にとっては、ただの地理学上の用語だ。私達は村々に蔓延している 無知について理解していない。村人達は外国の支配とその弊害について 何も知らないのだ。そしてかれらが拾ってきた知識が多少あっても、 それは外国人が引き起こす畏怖の念でかれらをいっぱいにするだけだ。 結果として生じるのは、外国人とその支配に対する恐怖と憎しみである。 彼らはそれを取り除く術を知らない。外国人がいるのは自分たち自身の弱さと、 外国の支配から自分たちを解き放つための力を自分たちが持っている ということに対する無知の結果なのだということを知らない。

  私の言う成人教育とは、したがって、まずはじめに、口伝による成人のため の真実の政治教育である。これが精密に計画されていれば、恐怖をとも なわずに実施できる。すでに官憲がこの種の教育を妨害するには遅すぎるはっずだ。 しかし妨害があったら、スワラージにとって不可欠なこの基本的人権 のための闘いが必要となる。もちろん、これまで私が書いてきたことのすべてに おいては、公開制が前提となっている。非暴力は恐怖を嫌い、それゆえに、秘密 もたいへん嫌うのだ。

  口頭による教育とぴったり並行して、文字による教育も行われるだろう。 これはそれ自身が専門分野である。

  教育期間を短縮するために多くの方法が試みられている。ここに概要を示し た考えを具体化し、働く人たちを指導するために、一時的あるいは恒久的な 専門家による評議会が運営委員会によって設立されるだろう。 この節で述べてきたことは、方向性は示してはいるけれど、ふつうの会議派党 員に対し、それを具体的にどう実行すればいいかは述べていないということは わたしも認める。また、会議派党員全てがこの高度に特別な職務に適していると いうわけでもない。しかし、教師である会議派党員は、ここに示された提案に したがうような道を敷くことについて、なんら困難をおぼえないはずだ。

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9.女性


  私はこの建設的計画に女性の貢献を含めた。なぜなら、サティーヤグラハ(非服従による抵抗)が他の何物 もなしえなかったほどの驚くべき短い期間で、インドの女性たちを自 動的に暗闇から連れ出したにもかかわらず、会議派党員(男)たちは 女性たちをスワラージのための闘争における同格のパートナーと見なす べきだと考える必要を感じていないからだ。 彼らは女性たちがこの使命で男性の真実の協力者にならなくてはいけないということを 認識できていない。男性がつくり、女性自身はまったく口出しもできずに形成された 慣習と法律によって、女性は弾圧されてきた。

 非暴力を基礎とした生活の計画の中では、女性には男性とまったく同じように、 自分自身の運命を自分で作り上げる権利がある。しかし非暴力社会における全ての 権利はその前の義務の履行から出てくるので、 当然ながら社会的行為の規則は(男女)の相互協力と話合いによって形作られなければ ならない。そうしたルールは決して外側から無理強いさせられるものではない。

 男性たちは、女性に対する行いの面では、この真実を十分に認識していない。 彼らは女性たちを友達や同僚として見なすかわりに自分たちを女性たちの王で あり主人と見なしているのだ。インドの女性たちの手助けをすることは会議派党員の 名誉である。女性たちはある意味で、自分たちが自由になれたあるいはなるべき だったということを知らなかった、昔の奴隷のような地位にいる。そして奴隷たちは、 自由が到来したその時に、しばらくよりどころがないように感じた。 女性は自分たち自身を男性の奴隷として見なすよう教えられてきている。 彼女たちに自分の地位を完全に認識させて、男性たちと対等な存在として 自分の役目を果たすようにさせられるかどうかは会議派党員次第である。 覚悟さえあれば、この革命は簡単だ。会議派党員は自分自身の家庭から はじめてみようではないか。妻は人形でも欲望の対象でもなく、 共同活動における名誉ある同士であるべきなのだ。

  この目的のために高等教育を受けてきていない女性は彼女たちの夫から可能な 限りそうした知識を受け取るべきである。同じ見解が、しかるべき変更を加えれば 母親たちと娘たちにも適用できる。

  私がインドの女性のどうしようもない状態を、非常に一面的に描いてきたということは、ここで敢えて指摘するまでもないだろう。 村では一般的に女性たちが男性たちと対当にやりあい、いくつかの点では男性たち を支配してさえいるという事実はよくわかっている。しかし公平な第三者にしてみれば女性のこの法的かつ慣習的地位はどうみてもひどすぎるし、根本的な改変が必要なのだ。

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10. 健康と衛生の教育


  村の衛生にすでに紙面をさいたので、なぜ改めて健康と衛生の教育について 分けて書くのかという質問があることだろう。それを公衆衛生とひとくく りに扱うこともできたのだが、私はこの項目同士が干渉させたくはなかっ たのだ。単に公衆衛生を語ることでは健康と衛生を含めるのに十分ではな いのだ。人の健康を保つ技術と衛生の知識は、それぞれ別個の検討課題で あり、それに伴う実践を持つのである。秩序だった社会では、市民は健康 と衛生の法則を知り、それを守る。健康と衛生の法則に対する無知と怠慢 が、人類の継承する病気の大半の原因だと言うことは疑い無く立証されて いる。インドに蔓延するとても高い死亡率は、多くが私達の苛酷な貧困の せいなのは確かだが、人々が健康と衛生について適切な教育を受けていた ならばそれを軽減できたはずだ。

  *人の健全さは体の健康にある* はおそらく人類の第一法則だろう。健全な 精神は健全な肉体に宿る、も自明の理である。精神と肉体との間には必然 的なつながりがあるのだ。

  私達が健全な精神を持てば、私達は全ての暴力を投げ捨てるだろうし、自然と 健康の法則に従うので、私達は労せずして健康になるだろう。 従って、私はどの会議派党員にも建設的計画のこの項目を軽視しないことを望 む。健康と衛生の基本的法則は単純だし、学ぶのも簡単だ。難しいのはその遵 守である。

  いくつかを下記に示す:

  1. 最も純粋な考えを持ち、無駄かつ不純な考えを追い払うこと
  2. 日夜、最も新鮮な空気を呼吸すること。
  3. 肉体労働と精神労働のバランスを築くこと。
  4. 背筋をのばして立ち、背筋をのばして座り、全ての行動をきちんと清潔にし、 しかもそれを自分の内面的な状態の表現として行うこと。
  5. 同胞に貢献するするような暮らしのために食事をすること。
  6. 自分を耽溺させるような生活をしないこと。したがって食べ物は、心と体を 良い状態に保つ分だけに限るようにすること。人は食べた物相応になる。
  7. 水と食べ物と空気は清浄にすべきで、そして単に個人的な清潔さに満足せず、 自分に対して望む清潔さの三倍相当を周りにいる人たちに広めなさい。

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    11. 地域言語


      私たちが母国語よりも英語好きであるため、教育を受けて政治的な意識の高い階級 と大衆の間には深い溝が生じることになった。インドの言語は衰退を被ってきた。 母国語で深遠な考えを表現しようとして虚しい試みをする時、私達はまごつく。 科学用語で相当するものが無い。この結果は悲惨なものだ。大衆は近代精神から 切り離されたままである。私達は自分の時代に近すぎるため、インド自身の偉大な 言語群の軽視によってインドが被っている害を正確に見きわめられなくなっている。

      私達がこの危害をなんとかしなくては、大衆の精神が封殺されたままになるはず だということはすぐにわかる。大衆がスワラージの確立に対して堅実な貢献がで きないのだ。

      全ての個人が独立運動に対して独自の直接貢献をするということは、そもそも 非暴力を基本としたスワラージにとっては不可欠なことだ。大衆がこれを完全 に行うには、あらゆるステップを、その意味すべてとあわせて理解しなくては ならない。これは、そのステップがすべて、かれら自身のことばで説明されな ければ不可能だ。

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    12. 国の言語


      そして全インドの交流のためには、インド語族の中から、 最も大勢の人が既に知り、理解しており、そうでない人も容易に覚えられる言 語を私たちは必要としている。この言語は明らかにヒンディー語である。 これはヒンドゥー教徒と北方のイスラム教徒の両方が話して理解している。 これがウルドゥ文字で書かれるとウルドゥ語と呼ばれる。会議派は、1925年の カンプール集会で通した有名な決議の中で、この全インドの話し言葉をヒンド スタニーと呼んだ。そしてその時から、少なくとも理論的には、ヒンドスタニー はRashtraBhasha(国語)となった。

      「理論的には」と言ったのは、会議派党員ですら彼らが当然するべき程に はそれを実行していないからなのだ。

      1920年に大衆への政治教育のためのインド言語の重要性を認識しようという、 明確な試みが開始された。さらに、政治的意識の高いインドが簡単に話せるよ うな全インド共通のことばの重要性と、異なる地方出身の会議派党員たちが、 会議派党の全インド集会で理解できるような全インド共通話法の重要性を認識 しようという明確な試みが開始された。このような全国言語は、人に(共通語 とそれぞれの地方語の)両方の話し言葉を理解して話し、また両方の文字を書 けるようにするだろう。

      残念ながら、多くの会議派党員がこの決議案を実行し損ねてきたと言わねばなら ない。

      そして私見ではこのために、会議派党員たちがどうしても英語でしゃべりたが り、そして他人にも、自分たちのために英語でしゃべってくれと押しつけると いう恥ずかしい光景が展開されているのだ。私達にかけられた英語の呪文はま だ解かれていないのだ。その呪縛のもとにあることで、わたしたちはインドが 自分の目標に到達するための前進をじゃましているのだ。もし私達が英語の学 習に費す年月とおなじ月日をヒンドスタニーの学習に費す努力をしないつもり ならば、私達の大衆への愛などうわべだけのものにすぎないこととなる。

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    13.経済の平等


      この最後のものは、非暴力による独立へのマスターキーである。経済の平等の ために働くことは資本家と労働者の間の永遠の抗争を終わらせることだ。 それは国の富の大半を手元に集中させている少数の裕福な者たちを引き下げて平等化 し、残り大半の半ば飢えかけた裸の数百万人を引き上げて平等化することである。 富者と無数の飢えた人々の間に大きな隔たりがあるうちは、政府の非暴力体制は 明らかに不可能だ。 ニューデリーの宮殿と、その近所の貧しい労働者階級のみすぼらしい掘っ建て小屋と の著しい差は、貧しい者が国で最も裕福な者とおなじ力を持つことになる自 由なるインドでは一日とて続かない。 裕福な者が自発的に財を放出し、その富がもたらす権力を放出して、それを 公共の利益のために共有するようになるまで、暴力的で血なまぐさい革命が いつの日か確実に起きてしまう。いかに嘲笑が浴びせられていようとも、わたしは 自分の、財産信託管理方式という信条を支持するものである。

      これが達成困難だというのは事実だ。非暴力だって達成困難だ。しかし私達は 1920年にその急な坂道を探っていこうと腹を決めたのだ。それだけの価値が あることだと判断したからだ。それは、非暴力のはたらきについて日々認識を 深めていくということだ。会議派党員はたえまない探求をして、なぜ何のための 非暴力かを彼ら自身のために考え出すことが期待される。いま存在する不平等を 廃止するのに、暴力的にやるならどうなるか、非暴力的にやるならどうなるかを 自問してみるべきだ。

      暴力による方法は、われわれはすでに知っているはずだ。それはどこであっても 成就していない。この非暴力の実験は未だ進行中である。実証的な証拠という 意味では、私達はまだ大したものを持っていない。しかし確実なのは、 この方法がとてもゆっくりとではあるにせよ、平等に向かった変化を もたらし始めているということだ。 そして非暴力は転向のプロセスであるから、この転換を実現するなら、それは 永続的なものでなくてはならない。 非暴力によって構築された社会や国は内外からのその構造への攻撃に耐えられ るものでなくてはならない。私達の組織内には資産家の会議派党員たちがいる。 彼らはが先頭に立つべきである。

      この戦いは個々の会議派党員全員に、自分の心をきわめて細密に検討する機会を 与える。もしも私達がいずれ平等を手に入れるのならば、この基礎は今据えられ なくてはならない主な改革はスワラージの到来後に訪れると考える人々は非暴力 によるスワラージの基本的な仕組みについて思い違いをしているのだ。 それはある晴れた朝に、不意に天から降ってくるものではない。 それはみんなの自己努力によって、煉瓦を一つずつ積み上げていくように、 築きあげなければならない。私達はこの方向でかなりの道のりを旅してきた。 でも、われわれがスワラージを栄えある偉大な形で見ることができるように なるまでには、これまで以上に長く面倒な道のりを踏破しなくてはならないのだ。 全ての会議派党員は、経済的平等の達成へ向けて自分が何をしてきたかを 自分自身に問わなければならない。

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    14. 農奴(キサン)


      この計画は、包括的なものではない。スワラージは力強い機構である。 八億の手がそれを築き上げる働きをしなくてはならない。そしてその中の 最大の部分を占めるのは、もちろんキサンすなわち農奴である。実は、 農奴(キサン)たちはその八〇億の大半(おそらくは八割以上)を占めるのだから、 農奴(キサン)こそが会議派であるべきなのだけれども、実際のところ そうはなってない。彼らが自分たちの非暴力の力を意識するようになるとき、 地上で彼らに対抗できる力はない。

      彼らは権力政治のために使われてはならない。それは非暴力の方法に逆行する ものだと思う。私が農奴(キサン)を組織した方法を知りたい人達は、 サッティヤグラハ(非服従による抵抗)がインドで初めて試された チャンパランでの運動を学ぶと有益だろう。その結果は、全てのインドがいまや 知っている。それは最初から最後まで完全な非暴力であり続けた大きな運動になった。 それは200万以上の農奴(キサン)を巻き込むものとなった。この闘争は一世紀の 歴史を持つ、一つの明白な不満を核としていた。この不満を取り除こうとした 暴力的革命も、いくつかあった。農奴(キサン)たちは弾圧され、非暴力的な 救済手段は六ヵ月で成功した。チャンパランの農奴(キサン)は、直接的な 政治的組織化の努力を一切行わなくても、政治に目覚めた。自分たちの不満を 取り除くための非暴力の仕組みについて、彼らは具体的な証拠を手にしていた。 だからかれらは会議派に接近することとなり、そしてBrijkishoreprasad氏と Rajendraprasad氏の指導のもとで、彼らはさきの「市民不服従運動」でも健闘した。 読者はまた、Kheda、BardoliそしてBorsadでのキサン運動を学ぶと有益だろう。 その成功の秘訣は、農奴(キサン)たちを彼ら自身が個人的に感じている 不満以外の政治的目的のために食い物にすることの拒絶にある。 彼らが理解している明白な不正を核として、組織化を行いなさい。 彼らには非暴力についての説教は必要ない。彼らが理解できる効果的な救済法として、 非暴力の適用を教えようではないか。そうすれば後で、自分たちが 適用している方法こそが非暴力なのだということを告げられれば、 彼らはたやすくそれを認識できるのだ。

      これらの実例から、関心のある会議派党員は、農奴(キサン)の中にあって、 彼らのためにどんな仕事ができるか検討できるだろう。私は幾人かの会議派党員が 農奴(キサン)を組織するときに使ってきた方法は、役にたたなかったし、 むしろ有害だったと考える。いずれにせよ彼らは非暴力の方法を使っていない。 こうした工作員たちの名誉のために言っておけば、かれらは自分たちが非暴力の方法を 信じていないということを、正直に認めている。こうした工作員たちへの私の助言は、 会議派の名を使うことも会議派党員として働くこともしないでほしい、というものだ。

      これで読者は、なぜ私が全インド的に農奴(キサン)と労働者を組織するための競争を 控えてきたのかがわかるだろう。全ての手を同じ方向へ引っ張っていけたなら、 どんなにいいだろうか! しかし、私たちの国のような巨大な国ではそれは 不可能なのかもしれない。それにいずれにせよ、非暴力に強制はない。 非暴力の作用についての冷静な論理と実証が、有効に機能するものと信じなければ ならない。私の意見では、農奴(キサン)は労働と同じく、会議派のもとに 彼ら特有の問題のために働く組織を持つべきである。

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    15.労働者


      アーメダバード労働組合は全インドが見習うべきモデルである、そ の基本は純粋かつ単純な非暴力にあり、これまでの道行きで、それに逆行 することを一切しないできた。グチを言うこともなく、騒動を繰り広げる こともなく、ますます力を強めてきている。 病院、製粉所工員の子供達のための学校、大人用の眼鏡、独自の印刷機 と*カディー*倉庫、そして独自の居住地区を持っている。 ほとんど全ての働き手が有権者で、選挙の当落を決める。彼らは地域会議派委員会の 要請により有権者リストに載る。この組合は会議派の派閥争いには一切加わって いない。それは市の地域自治政策にも影響力を持っている。 また、数回の完全な非暴力によるストライキで大成功をおさめたことも、 同組織の成果として特筆すべきだ。製粉所のオーナーと労働者は、主に 自発的調停によって関係を維持してきた。すべてわたしの希望通りにできるものなら、 私はインドの全労働組合をアーメダバード方式に追従させることだろう。それは 全インド商業連合会の邪魔をしようともしないし、その会に影響されないでいる。 いつの日か、商業連合会がアーメダバードの方法を受け入れられるようになり、 アーメダバード組合が全インド連合の一部に加われるようになってくれれば、と 私は願っている。しかし私は急いでいない。いずれ時が満ちれば実現するだろう。

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    16. アディバシス


      アディバシスということばは、*raniparaj*と同様、造語である。 *Raniparaj*は*kaliparaj*(黒人の意、彼らの肌は他のどんな民族とも変わら ない黒さなのだが)を表す。これを造ったのは、確か Shri Jugatram だったと思う。 *adivasi*という用語は(BhilsやGondsや高原部族とか先住民などと称される部族を 表すもので)、読んで字のごとく、もともと住んでいた人たちを意味して、確か Thakkar Bapa が造ったことばだと思う。

      *adivasis*のことを考えるのも、この建設的計画の一部である。彼らはこの計画では 16番目だけれども、重要さという点では最小なのではない。 私たちの国は実に広大で、人種も多様なので、私達の最良の者といえども、 そこにすむ人々やその状況について、知るべきことをすべて知ることなどできない。 人は身をもってこれを発見するにつれて、それぞれの民族がお互い共に存在している という実感を持たない限り、私達が一つの国であるという主張をまともに行うのが いかに難しいかを理解するのだ。 *adivasis*は全インド中に二千万以上いる。 Bapa は数年前からグジャラートで Bhilsの中にまじって活動を始めた。 1940年ごろに Shri Balasaheb Kher は Thana 地域で彼のいつもの熱意をもっ て、このきわめて必要とされていた仕事にとびこんでいった。 彼は現在、Adivasi Seva Mandal の大統領だ。

      インドの他の同胞たちの中には他にもこのような運動家が数人いるが、とても少ない。 ほんとうに、「収穫は多いが働き手は少ない」。 すべてのこのような奉仕活動が単なる人道主義でなく、堅実な愛国主義であり 私たちを真実の独立により近づけるということを誰が否定できようか?。

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    17. ライ病患者


    訳注:Mycobacterium Leprae=ライ菌による伝染病、感染力は弱い、治療可能。 http://homepage2.nifty.com/etoile/hansen/hansen.html を参照。


      ライ病患者というのは、印象の悪いことばだ。インドにはおそらく、 唯一中央アフリカに次ぐ大量のライ病患者がいる。しかしそれでも彼らは、 私達の中できわめて背の高い人々と同じように社会の一員なのだ。 しかし、背の高い者たちは、別に関心を集めることなどまったく 必要としていないのに、私達はかれらに気をとられてしまう。 ずっと世話を必要としている多くのライ病患者たちは、省みられず放置されている。 私はこれを敢えて冷酷と呼びたい。非暴力の視点からすれば疑いなくそれは冷酷だ。 ライ病患者たちの世話をしているのは、もっぱらキリスト教宣教師たちだ、 というのは宣教師たち自身の名誉のためにも明記しておくべきだろう。インド人が、 純粋に利益目的でなく運営している唯一の機関は、Wardha近くの Shri Manohar Diwan だ。ここはShri Vinoba Bhaveの発案と指導のもとに活動している。もしインドが新しい生命をもって鼓動していたなら、もし私たちが真実の非暴 力的手段で可能な最も速いやり方で独立を勝ち取ることに精いっぱい真剣だっ たなら、インドには世話を見てもらえず考慮もされない、ライ病患者や物乞いはい なかっただろう。 この改訂版で私は意図的にライ病患者を建設的努力の鎖の環の一つとして導入した。 というのも、インド国内におけるライ病患者の立場というのは、 現代の文明社会におけるわれわれインド人の立場なのだということは、 私達がまわりを見てみさえすればわかることなのだから。 私達の同胞たちが海外でどのような状況にあるかを調べてみれば、 わたしが述べたことが正しいことも得心されるだろう。

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    18. 学生たち


     私は学生たちを最後(の項目)まで残しておいた。私はいつも彼らとの親交を 深めてきた。彼らは私を知っていて、私は彼らを知っている。 彼らは私を手伝ってくれた。わたしの大切な協力者たちの中には、 もと大学生たちも多い。私は彼らが未来の希望であるということを知っている。 非協力運動の全盛期には彼らは学校や大学を去るように誘われた。 会議派の呼びかけに応えた数名の教授たちと学生たちは、しっかりと留まって、国 家と彼ら自身のために大きな成果をあげてきた。
     今では、気運がちがってきているので、この呼びかけは繰り返されてない。 しかし経験の示すところでは、今の教育の持つ誘惑は、間違っていて不自然なもの であるにもかかわらずこの国の若者にとっては大きすぎるのだ。大学教育はよい仕事を 与えてくれる。それは上流階級参入のためのパスポートである。 知識へのごく自然な渇望は、通常のろくでもない教育システムをくぐりぬける ことなしには満足させることができないようになっている。 彼らはまったく異国のことばの知識を得るのに貴重な年月を浪費す ることを気にしていない。そしてそのことばが母語にとってかわるが、その害は まったく認識されることがない。 彼らとその教師たちは、土地の言葉が近代思想と近代科学に触れるのに何の 役にも立たないと決め込んでいるのだ。それなら日本人はなぜうまくいったのか と思う。 なぜなら、彼らの教育は、私が理解しているところでは、全部日本語で行われ ているのだ。中国の総帥(毛沢東)は、英語をほとんど(いやまったく)知らない。

     しかし、学生たちがそんな調子であるにしても、この国の未来のリーダーたち はこれらの若い男女の中から現れることになるのだ。 不幸なことに、彼らには様々な影響から働きかけを受けてしまう。非暴力運動は 彼らをほとんど惹きつけられない。殴られたら殴り返せ、とか一発やられたら倍返し、 とかは簡単に理解できる提案である。それは、即座に結果を生み出すように見える。 でもそれは、ほんの一瞬のことでしかないのだけれど。 それは野獣たちや人類が戦う時に目にするような、残忍な力の決して終 らない試行である。非暴力を正しく理解することは、辛抱強い研究と、 さらに辛抱強く困難な実践を意味する。
     私は、学生の手助けを求めて競い合う連中の一覧には加わってはいない。 その理由については、*キサン*と労働者についての私の方針のところで説明した。 しかし私自身、広い意味では学生仲間なのだ。 私の大学は彼らの大学とはちがう。そしてかれらは、私の大学にきて、 私の探求にともに参加するよう、諸手をあげて招待されているのだ。 そのための条件を以下に挙げよう:

    1. 学生は党内の派閥争いに関わってはいけない。彼らは学生で、探求者であり、 政治家ではない。

    2. 政治的ストライキに頼ってはいけない。彼らは彼らなりの英雄を持つべきだ けれど、その英雄たちへの献身は彼らの最も良い点を見習うことで示されるので あって、英雄たちが投獄されたり、死んだり、絞首台に送られたりしたときでさえも、 ストライキに参加することで示されるのではない。もし彼らの悲嘆が耐えがたく、 全ての学生が同じように感じるのなら、学校や大学は、その校長の同意の元で、 休校にすればよい。もし校長たちが耳を貸さなければ、管理者たちが悔い改めて、 呼びかけてくるまで、学生たちが大学を離れるのはかれらの勝手だ。でも、 いかなる場合でも、反対者や学校当局に対して脅しを使ってはならない。彼らは、 自分たちが団結して威厳ある行動をとるならば必ず勝利するのだという確信を 持たなくてはならない。

    3. 全て科学的手法で糸紡ぎの奉仕活動をしなくてはならない。道具はいつもきちん としていて、清潔で、調子も状態も良く保つべきである。できれば、自分でそれを 作れるように勉強してほしい。彼らの作った糸は自然と最高の品質になるだろう。 彼らには糸紡ぎの経済、社会、道徳、政治的意義に関する文献を勉強してもらいたい。

    4. 全面的に*カディー*を着て、全ての外国製や機械製の類似品を排除して村の 品物を使ってもらいたい。

    5. *ヴァンデー マータラム*や国旗を他人に押しつけてはならない。国旗ボタンを 自分で身につけるのはいいが、他人にそれを強制してはならない。
      訳注:Vande Mataram:「バンキムチャンドラ・ チャトーパーディヤーエ(1938-94)のベンガル語の小説『歓喜の僧院』にある 「うるわしい母なる大地に敬礼する」。これが民族独立運動の高揚とともに歌われ、 挨拶語、スローガンともなった」(平凡社/ガーンディー自叙伝2,p.412より)

    6. 三色旗のメッセージを自分自身に課すようにして、共同体主義と不可蝕制度の どちらも心に抱いてはならない。他の信仰を持った学生やハリジャンと、 自分の親類縁者であるかのような真実の友情を育むこと。

    7. 傷ついた隣人に応急手当をし、隣の村ではゴミ拾いと清掃をして、 村の子どもたち大人たちを指導することを忘れないでもらいたい。

    8. 国の言葉であるヒンドスタニー語を、その現在の二重の姿、二つの話し方と 二つの書き方を学んでほしい。それがヒンディー語で話されようとウルドゥ語で 話されようと、あるいはナガリ文字で書かれようとウルドゥ文字で書かれようと 平気に感じるくらいに習得してもらいたい。

    9. 新しく学んだ全ての事柄を母国語に翻訳し、周りの村々へ毎週伝え廻ってもらいたい。

    10. 何事もこそこそとは行わず、あらゆる行いは白日のもとにさらし、全ての恐怖を捨て、自己抑制のある純粋な生活を送り、いつでも弱い学生仲間を守り、自分の命を危険にさらしてでも、暴動を非暴力の行いによって鎮めるようにしてほしい。そして闘争が決定的に激化したなら校舎を去り、必要なら、国の自由のために自らを捧げて欲しい。

    11. 女子の学生仲間に対しては慎重に適切で騎士道精神に則った ふるまいをしてもらいたい。

     彼らのために私が描いたこの計画を実行するには、学生たちは時間を見つけ出さなければならない。私は彼らが多くの時間を怠惰に浪費しているのを知っている。厳しく節制すれば、多くの時間を節約できる。だが、私はどんな学生にも、あまり無理をさせるつもりはない。それゆえに、私は愛国的な学生たちには一年を奉仕するよう勧めたい。これは、無理にまとめてとるのではなく、在学期間中に均等に配分する形で一年分を捻出するのだ。そんなふうにして生まれた一年間は、無駄な時間にはならないことに 気づくだろう。 この努力は精神的にも、道徳的にも、肉体的にもかれらの役にたつだろう。そして在学期間中に、自由運動に対して大いに貢献が出来るわけだ。

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    市民不服従の役割


      これらのページで私は、もしもこの建設的計画に全国の協力が確保されるのな ら、純粋に非暴力的努力を通じて自由を勝ち取るのに「市民不服従」は必ずし も必要でないということを述べた。 しかし国も個人も、なかなかそこまで幸運に恵まれることはないものである。 したがって、全国規模の非暴力運動における「市民不服従」の役割を知ることは不 可欠である。

    それは三つの明確な役目を持っている:

    1. 地方の悪の是正のために効果的に活用できる。

    2. それはある個別の不正や邪悪を対象とするものではあっても、地域の意識や良心を 呼び覚まそうとする自己犠牲の行動によって、結果を気にせずに使うことができる。  これはチャンパランでの事例にあてはまることで、わたしは結果がどうなるかを まったく考慮せずに、また人々自身でさえ無気力のまま動こうとしないかもしれない ということを十分承知したうえで、「市民不服従」を提唱した。  それが結果としてそうはならなかったということは、各人の嗜好に応じて、神の恩恵だと 考えてくれてもいいし、単に運がよかっただけ、と考えてくれてもかまわない。

    3. 建設的努力への全面的な対応として行うかわりに、1941年のように行うこともできる。 1941 年の場合には、それは自由のための闘争に資するもので、その一部ではあったけれど、でも非服従はある特定の目的を意図的に目指していた。それは、言論の自由である。 「市民不服従」は例えば独立のためなどの総合的な動機のために導かれはしな い。 それが対象とする目的というのは、はっきり決まっていて、明確に理解できて、 さらに相手が譲歩することで提供できる範囲内の目的でなくてはならない。 この手段を正しく適用すれば、最終目標が達成できるに違いない。

    私はここでは「市民不服従」の完全な見通しと可能性を吟味していない。 この建設的計画と「市民不服従」の間のつながりを読者が理解するのに 必要なだけ触れている。 最初の二つのケースでは、念入りな建設的計画は必要ではなかったし、また 必要となる可能性はまったくなかった。 しかし「市民不服従」がそれ自体として、独立の獲得のために企てられるとき、事前 の準備が必要であり、そしてそれはこの戦いに従事している人々の、目に見える 意識的な努力によって支えられてなければならない。 「市民不服従」は従って闘士たちにとっての励ましであり、反対勢力への挑戦 である。 独立の見地から、民衆の建設的努力の行動に沿った協力がない「市民不服従」 は、単なる虚勢であり、役に立たないどころか足を引っ張るものであるという ことは読者には明確なはずである。

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    結論


      これは会議派を代弁するものとして書かれた論文ではないし、会議派本部の 要請で書いたものでもない。 これはセワグラムにいる協力者たちとの会話の結実である、 彼らは、この建設的計画と「市民不服従」の間のつながりと、前者をどう実施 すべきかについて、私のペンからの何らかの説明が必要だと感じていた。私は このパンフレットでその必要に応えようとした。 このパンフレットは、すべてを網羅しようなどというつもりはないけれど、 この計画を進めるべき方法については、十分に示している。

    読者には、ここに挙げた各項目のいずれについても、それが独立のための運動の 一部なっているといって嘲笑するような失態をおか さないでもらいたい。 いろいろな人が、大きなことや小さなこと、いろいろなことを、非暴力や独立 とはまったく関係なく行うものだ。そして、その行いから期待したとおりの 限られた価値を手に入れることになる。 ある人物が、一市民として登場しても大したことはないけれど、その 同じ人物が将軍としての立場で現れれば、かれは大人物となって、 何百万人もの生命を意のままに左右することとなる。 同様に、貧しい未亡人の手にするチャルカ(糸紡ぎ車)はわずかな額を彼女にも たらすだけだが、ジャワハルラル主義者が手にすれば、それはインドの自由への道具 となるのだ。 チャルカに尊厳を与えるのは、その任務である。 そして建設的計画に圧倒的栄光と力を与えるのは、それに課せられた任務なのだ。

    少なくとも、私は以上のような見方をしている。それはキチガイの見方なのかもしれない。もしこれが会議派党員へ何も訴えかけないなら、私は排除されなくてはならない。 なぜなら建設的計画なしに私が「市民不服従」を扱おうとするのは、麻痺した手が スプーンを持ち上げようとするようなものなのだから。

    プーナにて、1943年11月13日

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    APPENDICES

    IMPROVEMENT OF CATTLE

    (This is what Gandhiji wrote sometime ago about adding Goseva as one more item in the Constructive Programme. J, Desai)

      Extract from a letter written by Gandhiji to Shri Jivanji Desai: Sodepur, 16-1-'46

    "...You are right: cow service (goseva) should be included as one more item in the Constructive Programme. I would phrase it as improvement of cattle. I think it should not have been left out. We shall see about it when the next edition is out."

    インド国民会議党の立場

    インド国民会議党(Indian National Congress)は、最古の全国的政治組織で あり、自由へ向けて数々の非暴力闘争を繰り広げてきた存在であるから、消滅 させるわけにはいかない。国民会議党が消滅するときは、国が死ぬときである。 生きた有機体は成長し続けないと死ぬ。国民会議党は政治的自由を勝ち取りは したけれど、でも経済的な自由や社会的自由、道徳的自由はまだ勝ち取っては いない。こうした自由は、政治的自由よりもむずかしいけれど、それはこれら が建設的で、派手なところや華々しいところが少ないからだ。すべてを含む 建設的な作業というのは、何百万ものあらゆる人々のエネルギーを要求する。

      国民会議はは、己の自由の最初の必要部分を手に入れた。いちばん困難な部分は これからだ。民主主義へとむずかしい上昇を続けるにおいて、それは どうしても、腐敗へとつながる腐った部分を作ってしまったし、民衆による 民主的な、などというのが名ばかりにすぎない機関もいくつかつくってしまった。 こうした雑草のような無益な成長からどうやって逃れるべきだろうか。

      The Congress must do away with its special register of members, at no time exceeding one crore, not even then easily identifiable. It has an unknown register of millions who could never be wanted. Its register should now be co- extensive with all the men and women on the voters' rolls in the country. The Congress business should be to see that no faked name gets in and no legitimate name is left out. On its own register it will have a body of servants of the nation who would be workers doing the work allotted to them from time to time.

      Unfortunately for the country they will be drawn chiefly for the time being from the city dwellers, most of whom would be required to work for and in the villages of India. The ranks must be filled in increasing numbers from villagers.

      These servants will be expected to operate upon and serve the voters registered according to law, in their own surround- ings. Many persons and parties will woo them. The very best will win. Thus and in no other way can the Congress regain its fast ebbing unique position in the country. But yesterday the Congress was unwittingly the servant of the Nation, it was *khudai khidmatgar*--God's servant. Let it now proclaim to itself and the world that it is only God's servant-nothing more, nothing less. If it engages in the ungainly skirmish for power, it will find one fine morning that it is no more. Thank God, it is now no longer in sole possession of the field.

      I have only opened to view the distant scene. If I have the time and health, I hope to discuss in these columns what the servants of the Nation can do to raise themselves in the estimation of their masters, the whole of the adult population, male and female.

    New Delhi, 27-1-'48
    M, K. Gandhi